わたしはベロニカ。
「分離不安症」のおんなのこ。
分離不安症とはママと離れることで
自分が自分でなくなる病気。
なのに・・・ママは「ムダな時間をマネタイズする!」
といって夕方から夜10時まで、コンシェルジュのパートにいってしまうわ。
パート先のシニアマンションまではあるいて10分。
おばあちゃんとママを送って行くのが、わたしの毎日のお散歩。
そして仕事先につくとママは言うわ。
「ベリー、先におうちに帰って待っててね」って。
そんなのないわ。
強制終了じゃない!
それでもママはうれしそうに、マンションへ入っていくの。
仕事がたのしいらしいわ。
たしかに大変な面もあるけれど、だいたい「ありがとう」っていってもらえるお仕事。
お食事をお部屋までワゴンで運んだり、
パソコンのちょっとした使い方を説明したり、
うーーん、あとは
事務室の加湿器に水を補給したり、窓のロールカーテンを下ろしたりと
あ、そうそうポストに郵便物がはいってないかも見に行くというわ。
ほんとうなら、とっくに辞めているはずが、ずるずると半年も・・・
わたしは夜になってママが帰ってくると、そら、犬だからいちおうは腹見せてよろこぶのだけど
すぐに、すねてみせるのよ。
そんな毎日の中、ある日とある遠方の市役所から電話がはいったわ。
「看板の製作に入札しませんか?」って。
ママはそいや昔、はっしーに「市役所に行って制作関係の仕事の入札申請をしてきてくれる」と頼んだの。
すると、はっしーはあろうことか、わたしたちの住む町ではなくて、自分の住んでいる町の市役所に申請届をだしていたわけ。
たしかにママは「市役所」としか言ってなかったわね。
ママは約1時間かけて、看板製作の申請許可書をもらいに、そのはっしーが住む町の市役所までいったわ。
ところがフタを空けてみると市にある学校すべてに、「避難所」の看板を作るというけっこうボリュームのある仕事だったの。
ママは10年前に1度、看板製作を頼んだことのある社長さんに電話したわ。
社長さんはママのことをよく覚えていてくれて、こころよく引き受けてくれたの。
ママは市役所でもらった仕様書や条件を社長さんにわたして、速攻で帰ってきてわたしにいったわ。
「べりー!お肉がたくさんたべられるよ~~」って。
看板製作の入札は、看板屋さんの社長さんによると500万円で落札できるでしょうということらしいの。
そして、ママの取り分として20%を乗せても勝てるって!!
ということは、遠方の市役所にいっただけで「ひゃくまんえん」がはいるということ?!
わたしたちは、北風の中、ハワイでお散歩しているようだったわ。
ところが・・・
入札前日になって社長さんから連絡がはいったわ。
「あのね、ごめんなさいなんだけど、この市役所の条件にあるISOという資格、うち、持ってないわ」
へ?
まさしく「絵に描いたもち」とはこのことなのか。
わたしはベロニカ。
ついつい人間につられて一喜一憂、棚からぼたもちを期待してしまっていたわ。
でも不思議なものね。
人間には「分相応」というものがあって、大きすぎる幸せも、不幸もあってはならないというわ。
幸せも不幸も「気持ち次第」ということね。
ママはね落ち込むどころか、つぎのたなぼたを、ねらっているのよ。ま、結果は再来年、てところね。