今年もお盆がやってきた

わたしは、ベロニカ。

去年の今頃を思い出すおんなのこ。

お線香の臭い、ゆらゆら回る走馬燈、年に一度しかこないママのいとこ。

小さいけど、うちのお仏壇。

なぜだか、神妙な面持ちで手を合わせるとしくん。

知り合いはおらんはずだけど・・・。

そして、ママのいとこのゆきちゃん。

おっさんだけど。

ゆきちゃんはわたしを見るなり

「僕は猫が好きなので・・・」って。

わたしは、こんなに面白みがあるというのに。

ところで、話は変わるけど、ママがここ2,3年、気になっていることがあるというの。

それは終戦記念日でもある今日8月15日。

例年、15日あたりは戦争に関する映画やドラマがテレビで流れていたのに

近年、だんだん少なくなってきて、今年に至っては『火垂るの墓』すら放映しないの。

ママは言うわ。

これは年月がたって、自然とそうなってきたのではなくて

ある種の「シビリアンコントロール」だと・・・・・・。

おそらくだけど、憲法9条改正にベクトルが向いたとたんに

戦争に関するあらゆる国民感情があらぶらぬよう、ゆさぶられぬよう

何者かの手によって戦争映画を封印しているのではないかということなの。

 

もしかしたら、わたしたちも

中国や北朝鮮に同情している場合ではないのかも知れない。

国民が考えないようにしたいのかな・・・。

 

これはあながちママの妄想ともいれないなぁと思うのは

過去に封印された漫画もあったから。

何年も前の終戦記念日、この漫画の実写版をテレビで見たことがあったそうだけど

とてもいい映画だったらしい。

原爆を投下された広島での物語。

戦争さえなければ、って考えさせられるこの映画がテレビで流れることは

2度となかったという。

ラピュタは20回は見たと思うけど・・・。

広島といえば、ママのお父さんも、おばあちゃんも爆心地から

わずか4kmのところで被爆したという。

お父さんはたまたま柱の陰にいて助かって、

おばあちゃんは窓辺でミシンをかけていたので、爆風とともに全身にガラスがささったそう。

 

ママが初めて広島の親戚のうちに行ったのは終戦から22年目の頃。

あまりに小さい子供だったので、あまり覚えていないけれど

親戚の誰もが「ぴかどん」の話を聞かせてくれたこと。

どれだけ、おそろしいか、死の町がどんなかを。

そして銭湯では、腕や背中や足がケロイドでひきつれた人がたくさんいたこと。

成長してから、その親戚のうちに行ったときは、「ぴかどん」の話を

してくれた年寄りたちはみんな亡くなって、子孫たちもその話はしたがらなかった。

伝えたい話から、忘れたい話となったわ。

ましてや被爆3世にとっては、遠い歴史の出来事・・・。

うちでいう兄のことってわけね。

そして今の子供たちが、戦争映画など

見ることもなく大きくなっていくとしたら。

わたしたちが共有しているはずの平和のカタチもかわってしまうかもしれない。

 

わたしは、ベロニカ。

毎年、終戦記念日にはこの手の話を聞かされるおんなのこ。

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